西部の歴史

私たちの西部地区は、旧関市の最も西に位置し、平成29年4月1日現在の人口は約12,000人、世帯数は約4,500世帯で、どちらも市全体の約13%を占める、市内15地区の中では人口・世帯数とも最も多い地区となっています。

西部地区は以前は小金田(こがねだ)地区と呼ばれていましたが、その由来は、明治時代に
小屋名村、上白金村、下白金村、山田村が合併し、小屋名の「小」上白金、下白金の「金」山田の「田」を合わせて、小金田村になったことによります。

現在は小屋名、上白金、下白金、山田と、昔からの地域である保戸島、千疋、植野と新興住宅地域の
津保川台、虹ヶ丘、千疋北、大平台の11地区、64自治会で西部地区を構成しています。

「小金田」の呼び名は、昭和時代には、地区のいたるところで目にしましたが、最近は
「小金田中学校」、「小金田駐在所」、「小金田橋」など、数少なくなりました。

西部地区にある代表的な公共施設は、岐阜県設置100周年記念事業として昭和50年(1975年)に開設された、面積約100haの岐阜県百年公園で、広大な敷地の中には岐阜県博物館があります。
この百年公園北口への取り付け道路である県道295号関記念公園線は、延長1kmもない短い道路です。短いといえば、西部地区を流れる長良川、今川、武儀川、津保川のうち、今川は長良川の分流ですが、その延長は2km程度の短さです。

 西部地区は岐阜市に接し、などの
自然豊かな住みやすいところ
です。

備考

 「旧関市」は、平成17年に武儀郡5町村と合併する前の関市のことです。

 「保戸島」は、保明、戸田、側島の3地域の「保」、「戸」、「島」を合わせた地区名です。

 「岐阜県設置100周年」は、昭和46年(1971年)です。